1. はじめに
時さかのぼること2年前の春、鮮魚コーナーにそれはそれはツヤツヤしたマイワシが並んでいました。
目は澄んでいて、体の青緑色がくっきり。
入荷したばかりの鮮度抜群の個体です。
春先のマイワシは、脂がのる梅雨から夏の旬(いわゆる入梅イワシ)にはまだ早い時期。
刺身やなめろうの主役としては物足りないかもしれませんが、
脂が比較的少ない春のマイワシなら、塩を多めにして脂やけをコントロールできるのではないか、
そう考えて、仕込んでみました。
実は、マイワシは魚醤には「不向き」とされることが多い魚です。
以前カタクチイワシの記事でも触れましたが、
マイワシは脂質が多く、長期発酵の途中で脂が酸化(脂やけ)しやすいです。
漉すときも脂がフィルターに詰まり、何度もペーパーを交換する重労働。
脂やけが起きると風味も損なわれ、最悪の場合は廃棄を余儀なくされます。
わが家でも幾度となく失敗を繰り返したのち、近年はほとんど作っていませんでした。
でも「本当に作れないの?」って、ずっと頭の隅にあったんです。
グラム単価も安くて、生物濃縮がほとんどされていない小型魚、
こんな理想的な素材はマイワシをおいて他にいるでしょうか。
春先の涼しい気候、脂が控えめな個体、塩を多めにした設計、
条件を揃えれば、いけるかもしれない!
結論から言うと、2年かかりましたが、味わい深い魚醤に仕上がりました。
途中で脂やけの兆候が出て追い塩をしたこと、
その影響で発酵が通常よりも長引いたこと、
色々ありましたが、この記事ではその全過程をお伝えします。
この記事でわかること
✔ マイワシを魚醤にする際の設計の考え方と注意点
✔ 2年間の発酵経過と、途中で起きたトラブルへの対処
✔ 収穫(濾過・加熱・瓶詰め)の手順と完成品の味わい
2. マイワシ魚醤とカタクチイワシの魚醤の違い
そもそもなぜマイワシは「不向き」と言われるのか
魚醤に使われるイワシといえば、カタクチイワシが定番です。
ナンプラーもイタリアのコラトゥーラも、原料はカタクチイワシ。
わが家でもカタクチイワシの魚醤は何度も仕込んできました。
カタクチイワシが優れているのは、脂質が少なく、旨味が強く、小型で下処理が楽だからです。
一方、マイワシはカタクチイワシと比べると以下の点が異なります。
| カタクチイワシ | マイワシ | |
|---|---|---|
| 体長 | 10〜15cm | 15〜25cm |
| 脂質 | 少ない(3〜5%) | 多い(8〜15%、旬は20%超) |
| 旨味 | 力強くストレート | コクがあり複雑 |
| 脂やけリスク | 低い | 高い |
| 下処理 | 簡易(塩水洗浄でOK) | エラ・内臓の除去が必要 |
| 発酵期間の目安 | 1〜1.5年 | 1.5〜2年(今回は2年) |
最大の違いは脂質の量です。
旬のマイワシは脂質が20%を超えることもあり、これが発酵中に酸化すると
「脂やけ」と呼ばれる風味の劣化が起きます。
これがマイワシが敬遠される最大の理由です。
それでもマイワシで作りたかった理由
カタクチイワシの魚醤は「力強くストレートな旨味」が持ち味です。
マイワシの魚醤を想像すると、おそらくカタクチイワシにはないコクと複雑さがきっとある。
身が大きい分タンパク質の総量も多く、分解が進むと奥行きのある味になるはずだ。
7年以上いろんな魚で魚醤を作ってきた経験から、直感的にそう感じていました。
問題は脂やけ、それさえコントロールできればきっとうまくいくはず。
3. 脂やけとどう向き合ったか
仕込みの条件
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 仕込み時期 | 春先(4月) |
| マイワシの状態 | 脂が控えめの旬前個体 |
| 塩分比率 | 魚:塩 = 3:1(青魚の基本比率) |
| 下処理 | エラ・内臓除去、血合い洗浄 |
| 容器 | 甕(かめ) |
| 液面管理 | 熊笹+押し蓋+重石 |
設計のポイント
① 春先に仕込む理由
旬前の春先は、マイワシの脂質が年間で最も少ない時期です。
旬(梅雨〜夏)のマイワシは「入梅いわし」と呼ばれ、内臓のまわりまで脂がのり、焼いただけでご馳走です。
春先なら脂質が比較的控えめで、発酵初期の脂やけのリスクを下げることができます。
さらに春は気温が低いため、仕込み直後の一番デリケートな時期に雑菌が繁殖しにくく、
塩がじっくり全体になじむ時間を確保できます。
② 塩を多めに設定した理由
マイワシは脂質が多いぶん、脂質酸化のリスクが高い魚です。
塩分濃度を高めに保つことで発酵速度を穏やかにし、
脂の酸化が進む前に塩がしっかり行き渡る状態を作りたい、というのが狙いです。
「発酵に時間がかかるのは承知の上で、脂やけを防ぐことを最優先にする」
理想を現実にするために早速仕込んでみました。
4. 2年間の発酵経過ダイジェスト
0〜3ヶ月:春〜初夏(仕込み直後)
塩が均一になじんでいく段階です。
白濁した液が少しずつ滲み出してきました。
春の涼しい気温のおかげで、発酵はゆっくり穏やかにスタート。
念には念を、この時期は3日に1回の撹拌を徹底しました。
液面に浮いてくる脂も、撹拌のたびにスプーンですくい取っていました。
3〜6ヶ月:夏(最初の試練)
努力もむなしく、ここで脂やけの兆候が出ました。
夏の気温上昇とともに、液面に浮いてくる脂の量が増え、
蓋を開けたときに、これまでとは少し違う酸化した脂の匂い(ランシッド臭)がかすかに感じられたのです。
放置すると全体に影響が出てしまうので、すぐに対処しました。
✔ 液面の脂をスプーンで丁寧にすくい取る
✔ 追い塩を実施(全体量の5%程度を追加)
✔ 撹拌頻度を週2回に増やし、底からしっかりかき混ぜる
✔ 液面の熊笹を新しいものに交換
ここで追い塩という判断をしたのは、結果的には正しかったと思います。
塩を追加したことで発酵にブレーキがかかり、脂の酸化がそれ以上進むのを抑えられました。
ただし、ここで発酵速度が明らかに落ちました。
塩分濃度が上がったぶん、分解酵素の働きも穏やかになり、
「いつもの青魚の魚醤」よりも熟成に時間がかかる状態になったのです。
6〜12ヶ月:秋〜翌春(じっくり熟成)
追い塩の効果で液面の脂は落ち着き、脂やけの匂いはほとんど感じられなくなりました。
液の色が薄い琥珀色に変わり始め、臭いも生臭さから「発酵している匂い」に変化。
撹拌のたびに脂をチェックしましたが、浮いてくる量は明らかに減っていました。
ただ、やはり発酵の進みはゆっくりです。
見た目でもそれは明らかで、甕の中のマイワシはまだ原形をかなり残していました。
通常の青魚の魚醤なら、この時期に一気に身が崩れて液化が進みます。
追い塩で分解酵素の働きが穏やかになっている影響で、身の崩れ方もゆっくりになっていました。
原液を10倍に薄めて味見をするのですが、まだ塩辛さが先に立つ状態。
「まだ早い。待とう。」と自分に言い聞かせました。
12〜18ヶ月:2年目(変化の始まり)
1年を過ぎたあたりから、明らかに味が変わり始めました。
10倍希釈で味見すると、塩辛さの奥にじんわりとした旨味が現れていたのです。
液の色も琥珀色が深みを増し、香りにも醸造感が出てきました。
見た目にも変化が出てきました。
甕の中のマイワシが、ようやくはっきりと崩れ始めたのです。
堅い頭の部分はまだまだですが、柔らかい身の部分から溶けて液化が進み、固形物が減ってきました。
「味」と「見た目」の両方で、分解が進んでいることが確認できるようになりました。
通常の青魚の魚醤なら、ここで収穫してもいいタイミングですが、
追い塩の影響で発酵がゆっくり進んでいる分、まだ旨味に広がりが足りない気がしました。
まだ彼らのポテンシャルを信じて、少し待つことにしました。
18〜24ヶ月:収穫へ
待つこと2年、いよいよその日がやってきました。
収穫の日です。
蓋を開けると、深い琥珀色の液体と、複雑な醸造香。

慣れない人には異臭かもしれませんが、魚醤を数年作り続けていると、わずかな匂いの変化も感覚的に分かるようになります。
これは美味しい匂いです。
甕の中を覗くとマイワシはほぼ完全に液化していて、わずかに骨と皮の残骸が沈んでいる程度でした。

10倍希釈の味見で、塩辛さの奥にしっかりとした旨味と、後味の余韻を確認。
味、色、液化の進行、3つの判断基準がすべて整いました。
ただし、オール5というわけにはいきませんでした。
蓋を開けた瞬間にかすかに脂やけの匂い。
2年前の夏に対処した脂やけの名残が、わずかに液に残っていたようです。
正直少し不安になりましたが、これ以上漬け続けていても良くなる要素はありません。
2年越しの収穫を決めました。
5. 収穫①:濾過の手順
収穫直前にかすかに感じられた脂やけの匂い。
結論から先に言うと、この匂いは濾過の工程で除去でき、最終的にクリーンな仕上がりになりました。
マイワシの濾過は、一筋縄ではいきません。
白身魚やカタクチイワシよりも工程が多くなります。
脂質の分離と、残留する脂やけ臭の除去を意識しながら、段階的に進めていきます。
第一段階:金ザルとスープ濾しで粗濾過
まず、大きな固形物を取り除きます。

わが家では魚醤専用の金ザル(ステンレス)を用意しています。
魚醤の匂いは金属にも染みつきやすいので、洗っても洗っても匂いが残ってしまいます。
普段の料理用とは分けるのが賢明です。
① 金ザルの上にスープ濾し(メッシュの細かい濾し器)をセットします。
② 発酵液を静かに流し込みます。
③ スープ濾しで骨片や皮の残骸を受け止めながら、液を金ザルに通します。
④ 自然に液が落ちるまで待ちます。
なぜ晒(さらし)ではなく金ザル+スープ漉し器なのか?
マイワシは2年の発酵でほぼ液化しており、大きな固形物は少なめです。
ただし皮の残骸が多く、また脂質の微細な粒が液中に分散している状態です。
晒は目が粗いぶん液は早く落ちますが、脂質の微粒子はすり抜けてしまいます。
スープ濾しのメッシュの方がこの微粒子を捕捉しやすく、
同時に脂に吸着している脂やけ臭の成分も、物理的に取り除くことができます。
この第一段階だけでも、甕を開けたときに感じた脂やけの匂いはかなり薄くなりました。
第二段階:脂質分離(マイワシ特有の工程)
この工程は、カタクチイワシや白身魚の魚醤ではほとんど必要ありません。
マイワシの魚醤だからこそ必要になる、脂を取り除くための工程です。
① 粗濾過した液を容器に入れ、冷蔵庫(4〜10℃)で12〜24時間静置します。
② 液の上部に浮上した脂の層をスプーンで丁寧に取り除きます。
室温に戻してから次の工程に進みます。
冷やすことで脂が固まり、液から分離しやすくなります。
発酵中にこまめに脂をすくっていたとはいえ、完全には取りきれていません。
この段階で残留脂質をできる限り除去することで、保存中の脂やけを防ぎ、味のクリアさを確保します。
第三段階:ペーパーフィルターで精密濾過
微細な固形物を取り除いて、液を澄ませる最終工程です。
① ペーパーフィルターをドリッパーやホルダーにセットします。
今回のマイワシの魚醤は量が多かったので、スープ漉し器とキッチンペーパーを使いました。
② 発酵液を少量ずつ流し込みます。

ネルドリップ(布製のフィルター)といいたいところですが、目が粗く思ったように固形物を取り除くことができないので、ペーパーフィルターを使います。
自然に落ちるのを待ちます。加圧しないでください。
無理に押し込むと、フィルターの目から微細な固形物が押し出されてしまいます。
④ フィルターが詰まったら交換します。
マイワシは脂質分離を行ったあとでも、白身魚と比べるとフィルターが詰まりやすいです。
フィルターは多めに用意しておいてください。
コーヒードリッパーとコーヒーフィルターを使うと、時間はかかりますが、さらに透明度が増します。
この三段階の濾過を経た時点で、脂やけの匂いは完全に消えていました。
液は澄んだ深い琥珀色。匂いを嗅いでも、複雑な醸造香だけが感じられる状態。
「これなら大丈夫だ」と確信できた瞬間でした。
6. 収穫②:加熱処理と瓶詰め
加熱処理
すぐに使う場合は、加熱はせずにそのまま使います。
ただ、マイワシの魚醤は変性しやすいため、加熱処理することをおすすめします。
加熱の目的は3つです。
✔ 残存する菌や酵母を殺菌する
✔ 分解酵素の働きを止めて、今の味を固定する
✔ 保存安定性を高める
① 鍋に濾過液を入れ、蓋をして弱火〜中火にかけます。
② 80℃で20分を目安に加熱します。
温度計で液の中央部の温度を測ってください。
鍋底の温度ではありません。
そして絶対に沸騰させないでください。
沸騰すると香りの成分が飛んでしまいます。
③加熱後、そのまま自然に冷まします。
瓶詰め
冷めたら、遮光瓶(濃い色付きのガラス瓶)に詰めます。
瓶に詰める時の注意点は3つです。
✔ 瓶はなるべく口いっぱいまで満たしてください。
空気が残ると酸化の原因になります。
✔ スクリューキャップでしっかり密閉します。
✔ 保存は冷暗所で。開封後は冷蔵庫へ。
7. 完成品の味わいレポート
色
深みのある琥珀色。
カタクチイワシの魚醤と比べると、やや赤みがかった褐色寄りです。
さすが2年もの、光に透かすと輝くような艶があり、ウィスキーのような重厚感を醸し出しています。
香り
蓋を開けた瞬間、複雑な醸造香が広がります。
カタクチイワシの魚醤がストレートな「魚の旨味の匂い」だとすれば、
マイワシはもう少し丸みがあって、奥行きのある香り。
収穫時にかすかに感じられた脂やけの匂いは、三段階の濾過を経た完成品ではまったくといっていいほど感じられません。
スープ濾しでの粗濾過、冷蔵での脂質分離、ペーパーフィルターでの精密濾過、
この3つの工程が功を奏したことは間違いありません。
「不向き」と言われる理由だった脂やけは、濾過でリカバリーできる。
これは今回の収穫で得られた、大きな収穫でした。
味
10倍に薄めて味見した第一印象は、「濃い」。
カタクチイワシの魚醤が「鋭い旨味」だとすると、
マイワシの魚醤は「幅のある、重心の低い旨味」です。
舌に乗せた瞬間の旨味の立ち上がりはカタクチイワシの方が速いですが、
マイワシは後味の余韻が長い。
口の中にじんわりと旨味が残って、ゆっくり消えていく感覚です。
追い塩をした影響で、塩気はやや強め。
料理に使うときは、カタクチイワシの魚醤より少なめに加えるのがコツです。
合う料理
✔ カレー、トマト煮込み、ミートソース
濃い味つけの料理と特に相性がいい。コクが加わって奥行きが出ます。
✔ 炒めもの、焼きそば、ラーメンのタレ
しっかりした旨味が欲しい料理に。
✔ 餃子のタレに数滴
醤油の代わりに使うと、いつもの餃子が一段上の味に。
逆に、お吸い物やおひたしのような繊細な和食には、マイワシよりもスズキや花鯛の魚醤の方が向いています。
マイワシの魚醤は「上品さ」より「パンチ」で勝負するタイプです。
8. まとめ
マイワシ魚醤から学んだ3つのこと
✔ 脂やけは「仕込み時期の選択」と「追い塩」でコントロールし、「濾過」でリカバリーできる
春先の脂が控えめな個体を選び、夏場に兆候が出たら迷わず追い塩をしましょう。
それでも収穫時にかすかに残った脂やけの匂いは、
スープ濾し→冷蔵脂質分離→ペーパーフィルターの三段階濾過で除去できます。
完璧に防げなくても、最終的にクリーンな仕上がりに持っていける。
これは世紀の大発見です。
✔ 追い塩をすると発酵は遅くなる、それを受け入れる覚悟が必要
青魚の魚醤は1〜1.5年で収穫できるのがメリットのひとつですが、マイワシは追い塩の影響で2年かかりました。
発酵スピードを犠牲にしてでも脂やけを防ぐ、この判断が不可能といわれたマイワシ魚醤を成功に導く鍵です。
✔ 時間がかかった分だけ、味に深みが出る
2年の熟成を経たマイワシの魚醤は、カタクチイワシにはない幅のある旨味と長い余韻を感じられます。
「不向き」と言われる素材でも、条件を整えて時間をかければ、
他の魚では出せない味に仕上がることがあります。
正直、途中で「これは失敗かもしれない」と思った瞬間もありました。
でも焦らず、脂をすくい、塩を足し、じっくり待った。
2年越しで甕の蓋を開けたとき、あの琥珀色を見た瞬間の気持ちは、忘れられません。
マイワシの魚醤は、万人におすすめできる魚醤ではありません。
でも、いろんな魚で魚醤を作ってきて、次のステップに進みたいと思っている方には、
ぜひ一度挑戦してみてほしいです。
魚醤づくりは子育てに似ています。
彼らの可能性を信じる。
きっと見たことのない景色に出会えるはずです。
道具をまとめて紹介します
魚醤作りにおすすめの道具や材料をまとめました。
結果が出るまでに1年以上かかるからこそ、妥協はしたくない。
そんな想いで探したわが家には欠かせないアイテムです。
一度揃えると、毎年仕込むのが楽しみになってきますよ。
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精製塩でも作れますが、未精製の塩の方がミネラル分が多く含まれていて、
発酵の助けになるとされています。
わが家では海の素材を使う時は、岩塩ではなく海塩を使うようにしています。
特に魚醤作りには欠かせません。

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