私がはじめて手にした魚醤は、カタクチイワシのものでした。
そう、世界で一番有名で、流通量の多いタイの魚醤──ナンプラーです。
きっかけは、タイ料理屋さんで食べたトムヤムクン。
あまりにおいしくて、「家でも作ってみよう」と意気込んで買ったのですが……
結果は、数回、しかも数滴使っただけで、賞味期限切れ。
冷蔵庫を開けるたびに目は合うんです。
「あ、いるな」って。
でも、毎日の食事に使うイメージが、まったくわかなかった。
そんな、わが家の調味料の黒歴史を背負った一本でした。
正直に言うと、今でもナンプラーは少し苦手です。
本命のタイ料理には全力で力を発揮するのに、
和食、中華、イタリアン……ほかのジャンルに応用しようとすると、途端に難しい。
香りもクセも強くて、料理を選ぶんです。
「ナンプラーだけが魚醤じゃないはず」
そこから、わが家の魚醤探しが始まりました。
ほかの市販品を試すようになり、やがて自分で手作りするようになり──
気づけば7年。数十種類の魚で仕込んできました。
魚醤は、万能であり、同時に個性的。味わいは一つひとつ違います。
それでも「一番万能なのは?」と聞かれたら、
私は迷わず、こう答えます。
カタクチイワシ、と。
あんなにナンプラーに手こずったのに、不思議なものですよね。
でも、自分で作るカタクチイワシの魚醤は、市販のナンプラーとはまるで別物。
今では、わが家の魚醤づくりの原点であり、基準になっています。

この記事でわかること
✔ 同じ「イワシ」でも、こんなに違う(3種の比較)
✔ なぜカタクチイワシが、魚醤に重宝されるのか
✔ 丸ごと仕込む「和製ナンプラー」の作り方
まだ「魚醤って何?」「どの魚で作るか迷っている」という方は、先にこちらを。
1. 同じ「イワシ」でも、まるで違う
魚醤を作り始めて驚いたことのひとつが、
「イワシ」とひとくくりにできない、ということでした。
スーパーで見かける主なイワシは3種類。
| 種類 | 科 | 大きさ | 特徴 |
|---|---|---|---|
| マイワシ | ニシン科 | 大(20cm前後) | 脂がのる。刺身で人気 |
| ウルメイワシ | ニシン科 | 中(20cm前後) | 目が大きい。干物に多い |
| カタクチイワシ | カタクチイワシ科 | 小(10cm前後) | 下あごが短い。煮干しの原料 |
注目してほしいのは、カタクチイワシだけ科が違うということ。
マイワシとウルメイワシはニシン科ですが、カタクチイワシはカタクチイワシ科。
名前は同じ「イワシ」でも、生物学的には別のグループなんです。
実際に手に取ってみると、その違いははっきりわかります。
大きさが違う。 マイワシは手のひらサイズですが、カタクチイワシはその半分ほど。
骨の入り方(構造)が違う。 大きいマイワシはしっかりした中骨があり、解体が必要。小さなカタクチイワシは骨ごと丸ごと使えます。
そして、味わいがまるで違う。 脂ののったマイワシと、すっきりしたカタクチイワシでは、できあがる魚醤が「同じイワシから作ったの?」と思うほど別物になります。
同じ「イワシの魚醤」でも、どの種類を選ぶかで、まったく違う一本になる。
これが、魚醤づくりの奥深いところです。

2. なぜ、カタクチイワシが重宝されるのか
3種のイワシの中で、世界中の魚醤に最も使われているのがカタクチイワシです。
タイのナンプラーも、イタリアのコラトゥーラも、原料はカタクチイワシ。
なぜ、これほど重宝されるのか。理由を深掘りします。
理由①:脂が少なく、長期熟成に向く
魚醤は、1年以上かけてじっくり発酵させる調味料です。
この長い時間が、脂の多い魚には大敵になります。
脂は発酵中に酸化して、液面に膜を張り、風味を損なう。
これが「脂やけ」と呼ばれる現象です。
マイワシは「入梅いわし」と呼ばれる梅雨の時期に脂がのって、刺身では絶品。
でも魚醤にすると、その脂が裏目に出て、脂やけしやすい。
その点カタクチイワシは脂が控えめ。長期熟成しても脂やけしにくく、クリアな旨味に仕上がります。
理由②:小さいから、丸ごと使える
カタクチイワシは10cmほどの小魚。
だから、エラも内臓も取らず、丸ごと仕込めます。
これは単に「手間がかからない」というだけではありません。
内臓に含まれる消化酵素が、発酵の強力な原動力になるんです。
魚醤は、魚自身の酵素がタンパク質を旨味(アミノ酸)に分解することで生まれます。
その酵素が最も多く詰まっているのが、内臓。
小さなカタクチイワシは、その内臓ごと、まるごと発酵の力に変えられるんです。
大きな魚だと内臓を取り除く必要がありますが、カタクチイワシはその必要がない。
酵素を余すことなく使えるのが、小ささの最大の利点です。
理由③:旨味が、とにかく強い
煮干し(いりこ)のだしを思い浮かべてください。
あの力強い旨味の正体が、カタクチイワシです。
魚醤にすると、その旨味がぎゅっと凝縮されて、
少量でも料理がぴたりと決まる、力強い一本になります。
脂やけしにくく、酵素を丸ごと使えて、旨味が強い。
この3拍子がそろっているからこそ、カタクチイワシは世界中で選ばれてきたんです。
3. 丸ごと?内臓を取る?──ナンプラーとコラトゥーラの違い
同じカタクチイワシを使う魚醤でも、作り方で味がまったく変わります。
その代表が、タイのナンプラーと、イタリアのコラトゥーラです。
| ナンプラー(タイ) | コラトゥーラ(イタリア) | |
|---|---|---|
| 内臓 | 丸ごと(内臓ごと) | 内臓を取る |
| 味わい | 力強く、クセがある | 雑味がなく、上品 |
| 香り | 強い | おだやか |
| 向く料理 | タイ料理(主役級) | パスタ、和食(隠し味) |
ポイントは、内臓を入れるかどうかです。
内臓ごと発酵させるナンプラーは、酵素をフルに使うぶん、力強くてクセのある味に。
内臓を取り除くコラトゥーラは、雑味の元がなくなるので、クリアで上品な味になります。
同じ魚なのに、内臓の有無だけで、これだけ性格が変わる。面白いですよね。
ちなみに、内臓を取らないコラトゥーラの考え方は、
「1匹のイワシから、アンチョビと魚醤の両方を作る」というわが家の挑戦にもつながっています。
→1匹のイワシから2つの発酵食品を──コラトゥーラ風魚醤とアンチョビの同時仕込み 近日公開予定
今回ご紹介するのは、内臓ごと丸ごと仕込む「和製ナンプラー」の作り方です。
カタクチイワシの旨味を、酵素ごと余すことなく引き出す、王道のレシピ。
ただし、市販のナンプラーほどクセは強くなりません。
その理由は、後ほどお話しします。
4. 旬と入手──いつ、どこで買うか
カタクチイワシの魚醤づくりは、鮮度がすべてです。
魚醤の仕上がりは、仕込む魚の鮮度でほぼ決まると言っても言い過ぎではありません。
旬の時期
わが家が通う千葉・九十九里の直売所では、10月から2月頃が旬とされています。
この時期の寒いカタクチイワシは身が締まっていて、魚醤づくりにぴったり。
九十九里の郷土料理「いわしのごま漬け」も、この時期の魚で作られます。
魚醤も、同じくこの寒い時期に仕込むのがおすすめです。
鮮度の見分け方
✔ 体全体が銀色に輝いている
✔ 目が黒く澄んでいる(濁り・赤みは鮮度落ち)
✔ お腹がしっかりして、崩れていない
✔ 触ったときに身に弾力がある
当日水揚げのものを、その日のうちに仕込む。
これが、おいしい魚醤への一番の近道です。
持ち帰るときは、氷を入れて鮮度を保ちます。

5. 材料と道具
材料
| 材料 | 分量 |
|---|---|
| カタクチイワシ | できるだけ1kg以上 |
| 塩 | 魚の重量の3割(魚:塩 = 約3:1) |
ポイントは、塩をしっかり3割使うこと。
カタクチイワシは青魚なので、塩を多めにして腐敗を防ぎます。
「しょっぱすぎない?」と思うかもしれませんが、
この塩分が腐敗を抑え、ゆっくり安全に発酵を進めてくれます。
塩は、ミネラルが発酵を助ける海塩がおすすめです。
なぜ岩塩ではなく海塩なのかは、いずれ別の記事で詳しくお話しします。f
→塩の量を魚で変える理由:なぜ青魚は塩が多いの?魚醤の塩分比率
道具
特別な道具は要りません。
✔ 容器(ガラス瓶 or 陶器の甕)
✔ 重石(水を入れたペットボトルでも代用可)
✔ ボウル・ザル
最初は中の様子が見えるガラス瓶が安心。
長く続けるなら、発酵が安定する陶器の甕がおすすめです。
→魚醤作りに欠かせない道具たち(近日公開予定)
6. 作り方──丸ごと仕込む「ルートA」
カタクチイワシは、魚醤づくりの基本「ルートA(丸ごと仕込む)」の代表選手。
工程は大きく「仕込み」と「濾過」の2つに分かれます。
仕込みの全体像を先に知りたい方は、完全マニュアルもどうぞ。
STEP1|洗う
カタクチイワシを、塩水(海水程度の濃さ)でやさしく洗います。
表面の汚れとぬめりを落としたら、ザルにあげて水気を切ります。
エラも内臓も取りません。 丸ごと使うのがカタクチイワシの利点。
内臓に含まれる酵素が、発酵の強い味方になります。
これがナンプラーと同じ作り方。タイでも、下処理せず丸ごと漬け込みます。
STEP2|塩漬け
① 容器の底に塩をひとつかみ敷きます。
② カタクチイワシを並べ、塩を振る。これを交互に層にしていきます。
③ 一番上は、魚が隠れるくらい塩で厚めに覆います。
<失敗を防ぐコツ> できるだけ早く魚から水分を出すため、塩がまんべんなく行き渡るようにします。塩が一か所に偏ると、薄い部分から腐敗するので注意。手で混ぜる必要はありませんが、各層しっかり塩を振ってください。

STEP3|重石をする
魚が腐敗しないよう、常に塩水に浸かっている状態を保つのが大切です。
① 液面を覆う(熊笹や経木があれば産膜酵母を防げます)。
② 押し蓋をのせ、その上に重石をします。
③ 水を入れたペットボトルや瓶でも代用できます。
<失敗を防ぐコツ> 重石が軽いと水分が上がってこず、魚が空気に触れて腐敗の原因に。仕込み重量と同じくらいの重さをのせてください。数日で魚が液に浸れば順調です。
STEP4|待つ・ときどき混ぜる
蓋をして(ほこりが入らないように)、冷暗所で保管します。
最初の1か月は、ときどき味噌の「天地返し」のように全体を底から混ぜると、
ムラなく発酵が進みます。
あとは、1年から1年半、じっくり待ちます。
数日で水分が上がり、2週間ほどで液体がオレンジ色に変わってきます。
そこから時間をかけて、琥珀色の魚醤へと熟成していきます。

STEP5|濾過して完成
液が澄んだ琥珀色になり、旨味がのったら完成です。
布やペーパーフィルターで漉して、固形物を取り除きます。
わが家では、火入れ(加熱処理)をしていません。
理由はシンプルで、すぐに使うから。
火入れをすると発酵が止まりますが、しないことで酵素が生き続け、
漉したあとも、ゆっくり熟成が進みます。
「市販のナンプラーほどクセが強くならない」と前に書いたのも、ここが理由のひとつ。
自分のペースで使いながら、好みの熟成度合いで味わえるのが、手作りの良さです。
ただし、長く保存したい場合や、品質を安定させたい場合は、火入れをします。
火入れの方法は、別の記事で詳しくまとめる予定です。
→魚醤の火入れと保存方法(近日公開予定)
完成の見極め方は、こちらで詳しく。
7. ナンプラーとは違う、和食にも使える理由
冒頭で「ナンプラーは苦手」と書きました。
でも、自分で作るカタクチイワシの魚醤は、市販のナンプラーとは別物です。
市販のナンプラーは、長期熟成で香りもクセも強く、料理を選びます。
わが家の和製ナンプラーは、火入れをせず、好みの熟成度で使うぶん、
クセが穏やかで、いろんな料理にすっとなじみます。
おすすめの使い方
✔ お吸い物や煮物のだしに ── 醤油の代わりに少し加えると、旨味が深まる
✔ チャーハンや炒めものに ── 仕上げにひとふり。味が一段引き締まる
✔ パクチーサラダに ── にんにくオイルと魚醤の塩味で、山盛りのパクチーがあっという間に
✔ トマトソースに ── コラトゥーラと同じカタクチイワシ。トマトとの相性は折り紙つき
コツは、「香りをつけるくらいのつもりで、少しずつ」。
思ったより存在感のある味なので、味見しながら少しずつ足してください。

8. まとめ
カタクチイワシの魚醤、3つのポイント
✔ 同じイワシでも別物。カタクチイワシは魚醤の王道
脂が少なく長期熟成向き、小さいから酵素ごと丸ごと使える、旨味が強い。3拍子そろった魚です。
✔ 塩は3割。丸ごと漬けて、1年待つだけ
エラも内臓も取らず、塩と交互に重ねて重石をする。あとは時間に任せます。
✔ 火入れしないから、クセが穏やか。和食にも使える
市販ナンプラーの強さが苦手な方こそ、自分で作る価値があります。
ナンプラーに手こずって冷蔵庫で眠らせた、あの日の私。
まさか自分で魚醤を作るようになるなんて、思ってもいませんでした。
でも今は、自分で仕込んだカタクチイワシの魚醤が、台所の主役のひとつです。
世界中で愛される定番の魚を、自分の手で、わが家の味に。
まずはこの一本から、魚醤づくりを始めてみませんか。
もっとクセのない、和食特化の一本がほしい方へ
「カタクチイワシよりも、さらにクリアで上品な味がいい」
「繊細な和食の、隠し味に使いたい」
そんな方には、白身魚で作る魚醤がおすすめです。
カタクチイワシよりもさらに雑味が少なく、
お吸い物や茶碗蒸しのような繊細な料理にすっとなじむ、和食特化の一本になります。
→白身魚の魚醤の作り方:高級魚で作る和食に特化した発酵万能調味料
いろいろな魚で作り比べてみたい方は、こちらの選び方ガイドもどうぞ。
→自家製魚醤、どの魚から始める?7魚種から選ぶこだわりの1本
まず市販品で味を知りたい方へ
「作る前に、まず上品な魚醤の味を知りたい」という方には、
内臓を取って作る、クリアな味わいのコラトゥーラがおすすめです。
ナンプラーが苦手だった私でも、コラトゥーラは素直においしいと思えました。
イタリアの魚醤コラトゥーラを見てみる→Delfino社のコラトゥーラ
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